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Crystal Mind ブログ~ココロのカタチ~

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世の中の、あらゆる日常の、関わる人への思い、感動、気づきを、心理カウンセラーが綴るブログ。

闘病記を振り返って・・・

私が、潰瘍性大腸炎(UC))と診断されたのは、1998年の10月でした。

それまでは、医者にかかるのは風邪をひいた時くらい、入院だって一度もしたことのない、いたって健康な人間でした。
でも、現実の生活では、毎日働きづめで、不規則な生活に食生活、ハードな生活を送っていました。
そんな生活に、自分で自分を追い込んでいった原因もあったかもしれません・・・。
当時悩んでいた人間関係や、仕事の仕方で見つめなおさなければならない事、親子で大喧嘩をして、それ以来、口もきかず、つっぱっていた時期もありました。
そんな問題を、忙しくある事で、ごまかし、目を背けていたような気がします。

そんな毎日の中で、不調を感じたのは、日々お腹の痛みを感じ、少しずつ下血するようになり、貧血や、だるさが続くようになった頃でした。下血した時はびっくりして、近くの病院に駆け込んだのですが、内視鏡検査をしてみましょう、ということになり、腸の中をのぞくと腸が傷だらけで真っ赤!白い潰瘍もいたるところに見られ、形もひょろひょろしていてかなり重症だという事でした。

それから即入院潰瘍性大腸炎と診断され、この先、一生続く難病との戦いが始まりました・・・

この潰瘍性大腸炎との5年間の闘病生活の間に、2時併発を引き起こして、そっちの病気での治療で約1年間、入院してしまうという悲惨な事になってしまいました。これが、以前のブログで紹介させていただきました 肺結核性髄膜炎です。

UC自宅療養中に、高熱・だるさ・ものごい頭痛に襲われ、3日間、食事もとれず、水も飲めず、全く身体が動かないまま、意識が朦朧としている中、一本の電話で救われて、病院へ行くことが出来ました。
即入院。入院中に意識が完全になくなり、ICU(集中治療室)に何日か入りました。
後に、大学病院に転院、検査の結果、肺結核性髄膜炎を引き起こしていることがわかり、意識レベルが重度で、生死を彷徨う大惨事となってしまったのです。1999年3月の事です。

あの一本の電話がなければ、今の私は間違いなく、ここにはいなかったかもしれません。

後で、大学病院の医者が調べたところによると、おそらく、潰瘍性大腸炎で服用していたプレドニン(副腎皮質ホルモン)の、減量調整中に、身体の免疫力が思っている以上に落ちていることで、結核菌が体中に広がり、脳に到達、髄膜炎を引き起こしたのであろうということでした。

一番大変な時、私は何一つ覚えていません。
1週間くらい経ったでしょうか。奇跡的に意識を取り戻すのですが、この間が、このお話で一番大変だったのに、コメントできなくてごめんなさい・・
ところが、意識が戻っても、1~2週間は、ご飯を食べたり、顔を洗ったり、本を読んだり・・・など、生活をする上で、普通にできる事が、何一つ出来ませんでした。
字を書くことも難しい状態でした、それでも、その当時、祖母宛に一生懸命書いて送った手紙がありまして、改めて見ても、よく目を凝らさないと読めないくらいぐちゃぐちゃでした・・・

目もよく見えず、歩くことも、話すことも、ままならない状況でした。その時の私は、「今ここを生きる」事だけで、精一杯でした

それから4ヶ月ほど経ちます。

一人前に頭が働くようになると、途端に、これからどう生きていこう・・と、不安と恐怖が襲ってきます。
桜の咲く季節、梅雨の季節、花火やお祭りの季節、紅葉の季節・・・・ずっと、ベッドの上で過ごし、変わっていく景色を病室の窓からいつも眺めていました。
今頃、皆、楽しんでいるのだろうなあ・・仕事頑張っているのだろうなあ・・
なんだか、悔しくて、悲しくてたまりません。

この1年間の入院生活の中で、少しずつ回復していく中で、さまざまな事を考えました。

なぜ、私だけがこんな思いをして、苦しまなければならないのだろう?
と、嘆いたこともありました。
父のこと、母のこと、兄弟のこと、私自身の事、自分を取り巻く人達・・
何のために私はここにいて、何のために頑張って来たの?どうしたい?どうなっていきたい?
色々な事を考えました。

病院って、そんな精神面もサポートしてくれる場所だと思っていました。
でも、病院というのは、それぞれの科のさまざまな疾患に対して、検査や薬物治療を施し、良くなっていくプロセスをケアする場所であって、患者の悩みや愚痴、退院後、どうして生きていこう?なんて話を聞いてくれる場所ではないのですよね。
そんな患者の話をいちいち聞いていられない程、病院のスタッフは、ローテーション組んで本当に忙しく動き回っているのです。

入院して半年が経った時、初めて外出許可がでて、近所を散歩する程度でしたが、久しぶりに外の空気を吸いました。半年ぶりに洋服を着て、靴を履いて、自分の足で1歩1歩アスファルトの硬さを感じて、かみしめながらヨタヨタと歩いて、深呼吸をする・・・
今まで当たり前すぎていた、こういった一つ一つの事に感動して、涙が止まりませんでした。

私、ちゃんと生きているんだなあ、それだけで素晴らしい事なんだなあ・・・と。
今ここに、生きる力があれば、少しずつでも前に進むんだって、思いました。

もう一度ここから、始めてみようと、この時、思いました。

そんな長い入院生活を終え、無事に退院することが決まり、チームを組んでやってくださった先生方からは、「退院おめでとう!本当に良かったね。」と声をかけてくださいました。最後に担当の先生はこんなお話をしてくださいました。

「今こうして、元気に問題なく退院できるという事は、奇跡に近いんだよ。医者の力ではどうする事もできないこともあって、でも、年齢も若いし、助けてあげたいと思った。本当に大変だったんだよ。君の強い生命力が君を助けたのかもしれないね。その命は決して無駄にしてはいけないよ。」
私は、その言葉を胸に病院を後にしました。

ところが、私の試練はまだまだ続いています。もともと発症させていた難病、潰瘍性大腸炎の再燃です。その後、状態はどんどん悪化、再び入退院を繰り返すこと4回、考えに考えて、外科手術に踏み切る決意をしました。そして2003年の10月にオペ決行しました。

そして、私の5年間の闘病生活は終わりました。
ようやく・・・終わりました。



闘病の記録を全てお伝えするには、と~っても長くなってしまうので、なるべくわかりやすく手短にさせていただきました。それでも、上手く伝えきれていないかもしれません。ごめんなさい(TT)

今思うと、このような体験も、私の人生の一部であって、生命力と精神力を試されたかのような、修行のような期間でした。そして、自分の身に降りかかる、出来事は、よい事も悪い事も、全て自分への警告、心の鏡となって跳ね返ってきているのだなあ、と感じました。

周りの人間関係、周りの状況を見れば、今の自分はどこに位置しているか、バランス悪いのか、安定しているのか、一目瞭然で、その信号を上手くキャッチして、自分を柔軟に見つめなおし、変えていくことが、可能なのだという事が、今はっきりと、感じています


周りの顔色をみる、という事ではありません。

「自分が変わる」事で、おのずと、まわりも環境も変わっていくという事に、気がつく、という事だと思います。

私は、ここにたどり着くまでに、生命の危機という境目に立たされながら、うまく、生きるも死ぬも出来なくて、苦しみを経験をしないとわからないくらい、時間がかかってしまいました(微笑)

このブログで、実体験を元にお伝えしたかった事は、何かのご縁で、ここへ来て読んでくださった、お一人おひとりが、自分の人生を改めて振り返った時に、どんな事を感じたか、どんな事を思ったか、また、その感じた事を、ご自分の人生の一部に、一つのエッセンスとして、明日へ生かしていただける良いきっかけになれば、と思っています。

きっとそれが、かかわる全ての皆様に、できる事、なのだと思います。
心をこめてお届けしました。

微力ながら、皆様にとっての幸せのカタチ・・・見つけていただける事、願っています。

ご拝読、ありがとうございました(^^)/
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by ortus34 | 2007-03-27 07:00 | 潰瘍性大腸炎