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Crystal Mind ブログ~ココロのカタチ~

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世の中の、あらゆる日常の、関わる人への思い、感動、気づきを、心理カウンセラーが綴るブログ。

カテゴリ:潰瘍性大腸炎( 3 )

潰瘍性大腸炎という病気は難病です。

他にも、難病指定されている病気は50種類以上あります。

この、潰瘍性大腸炎の患者さん、または患者さんの家族の方が立ち上げたコロンの会というのが神奈川県にありますemoticon-0171-star.gif
地域によっては、IBD友の会という名称だったり、難病連での活動があったりします。

昨日は、その神奈川コロンの会の総会に初めて参加をしてきました。

潰瘍性大腸炎は、症状を軽くすると言われている薬で、騙し騙し様子を見ていくしかありません。

そして、悪くなったら入院。良い状態になったら退院。
これを繰り返す 「再燃-緩解」 型という特徴があります。

詳しい内容は当ブログのカテゴリの 「潰瘍性大腸炎」 に記載してあります。

この患者さんの多くは見た目はいたって健康的で、病気を患っている人には見えないって事があります。私なんか典型ですemoticon-0124-worried.gif

身体の症状は良くても、またいつ再燃するかわからない中で、緩解維持している時は、働いて経済状況も維持しなければなりません。
しかし、日常を普通の感覚で過ごしていると、人との付き合いもあり、消化に悪いものやアルコールなど口にする機会も増えるでしょうemoticon-0167-beer.gif

時間が不規則になり、身体にはストレスもかかるでしょう。

そして、一見健康的に見えてしまうので、周りも遠慮はしないし、本人も「普通」の感覚でハメをはずしたかったりします。

そうして、再燃し、また入院。
ステロイド投与、絶食・・・という流れを繰り返しますemoticon-0106-crying.gif

ちゃんと身体に気を使い、人との付き合いをおさえ、規則正しく過ごし、食生活にも気を配り、東洋治療にも積極的に取り組み、ヨシとされるものを試し、再発防止のために、あれこれ手を尽くしたとします。
確かに、こうして、自分の身体の信号に目を向けて気を使うということはとても良い事です。

しかし、それでも、再燃する時は再燃し、悪くなる時は一気に悪くなります。
なぜ難病にかかったのかも不明な上に、完治させる薬もなければ、良い状態にするために手を尽くしてもカンタンにその切なる思いは裏切られたりします。

難病の恐ろしい現実ですemoticon-0101-sadsmile.gif

昨日の会では、治療中組、オペ済み予後ケア組、様々な段階におられる方とお話してきました。

息子さんが潰瘍性大腸炎だというお母様がこんな事をおっしゃっていました。

「私が不安定な状態でいると、息子はどんどん悪くなる。逆におおらかな気持ちで、しゃんと構えていると、息子の状態はどんどん良くなる。親子だからなのかわかりませんが、以心伝心じゃありませんが、伝わるんですよね。だから、私がゆったりした気持ちで接する事を心がけているんです。」

これって、本当にそうなんですemoticon-0144-nod.gif
私が再発する時も、決まってよくない緊張感を抱いている時や不安定な心の状態の時だったと思います。この病気をしていなければこういった身体の信号がないので知らずに自分に無理をしてしまいます。そういう意味では、かなりわかりやすい状態でしたemoticon-0117-talking.gif

一言では言い表せられませんが、あの会の中で言わんとしていた事は 「精神面の健康」 が一番だという事です。

難病を抱える者にとっては、日々の暮らしで受けてしまう心や身体の負担は否めません。
更に追い討ちをかけるかのように、この潰瘍性大腸炎は患者数が年々増え続けているせいか、難病指定から外される可能性がありますemoticon-0124-worried.gif

まだ完治させる薬が見つからないのに、難病指定から外されてしまうと、ばく大な治療費を払わなければなりません。
多少、身体の調子が悪くても頑張って働いて経済状態を維持するので精一杯なのに、今後更に治療費や入院費を払う事になると、何ともやりきれない思いでいっぱいになります。

そこで、こういった会を結成し、患者が日常生活の生き辛さや様々な思いを、厚生労働省に訴え続けているから、難病指定外になることをかろうじて止める事ができているわけです。

誰かが第一人者となって、このような会を立ち上げなければ、患者の痛切な生の声が厚生労働省に届きません。素晴らしい運動をされている事、皆で手を取り合おうとしている姿、素晴らしいと思いましたemoticon-0137-clapping.gif

会長さんは80代の男性の方で、潰瘍性大腸炎を60歳で発症、他にもパーキンソンと戦いながらこの会の運営に積極的に取り組まれています。
とっても気さくで、背筋がしゃんとしていて、表情がとても素敵なジェントルマンです。

自然な笑顔、振る舞いを拝見しているだけで、勇気づけられ、また、学ぶものもありました。

会計をされていた方は、去年、難病がきっかけか存じ上げませんでしたが亡くなられたと聞きました。
享年50歳だったそうです。

難病と共に生き続けるのは大変です。病気をした方も、それを支える家族も。
この人生で、何が一番大切なのか。
難病を通して、気がつく事、知る事、出来る事はたくさんあるのだと思います。

私は心理カウンセラーという資格をとって、つくづく考えさせられています。

心の問題も大切だけれど、身体が健康だからこそ、心の状態に目を向けられる。
いくら心にプラスの言葉を投げかけても、身体に痛みが伴っていると、とてもじゃないけれど心に目を向けるような、そんな余裕はなかなか持てません。むしろ生存の危機を心配しなければならない状態もあります。

身体に何も問題ないとしたら、そんな幸せな事はありませんemoticon-0157-sun.gif

この人生で、何が一番大切なのか。
そんな事を考えながら、自分の心と身体によりいっそう目を向けて、ぜひ自分を慈しめたらと思います。

~ココロとカラダのトータルケア~
☆Crystal MIind☆ 

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by ortus34 | 2008-05-26 23:08 | 潰瘍性大腸炎
私が、潰瘍性大腸炎(UC))と診断されたのは、1998年の10月でした。

それまでは、医者にかかるのは風邪をひいた時くらい、入院だって一度もしたことのない、いたって健康な人間でした。
でも、現実の生活では、毎日働きづめで、不規則な生活に食生活、ハードな生活を送っていました。
そんな生活に、自分で自分を追い込んでいった原因もあったかもしれません・・・。
当時悩んでいた人間関係や、仕事の仕方で見つめなおさなければならない事、親子で大喧嘩をして、それ以来、口もきかず、つっぱっていた時期もありました。
そんな問題を、忙しくある事で、ごまかし、目を背けていたような気がします。

そんな毎日の中で、不調を感じたのは、日々お腹の痛みを感じ、少しずつ下血するようになり、貧血や、だるさが続くようになった頃でした。下血した時はびっくりして、近くの病院に駆け込んだのですが、内視鏡検査をしてみましょう、ということになり、腸の中をのぞくと腸が傷だらけで真っ赤!白い潰瘍もいたるところに見られ、形もひょろひょろしていてかなり重症だという事でした。

それから即入院潰瘍性大腸炎と診断され、この先、一生続く難病との戦いが始まりました・・・

この潰瘍性大腸炎との5年間の闘病生活の間に、2時併発を引き起こして、そっちの病気での治療で約1年間、入院してしまうという悲惨な事になってしまいました。これが、以前のブログで紹介させていただきました 肺結核性髄膜炎です。

UC自宅療養中に、高熱・だるさ・ものごい頭痛に襲われ、3日間、食事もとれず、水も飲めず、全く身体が動かないまま、意識が朦朧としている中、一本の電話で救われて、病院へ行くことが出来ました。
即入院。入院中に意識が完全になくなり、ICU(集中治療室)に何日か入りました。
後に、大学病院に転院、検査の結果、肺結核性髄膜炎を引き起こしていることがわかり、意識レベルが重度で、生死を彷徨う大惨事となってしまったのです。1999年3月の事です。

あの一本の電話がなければ、今の私は間違いなく、ここにはいなかったかもしれません。

後で、大学病院の医者が調べたところによると、おそらく、潰瘍性大腸炎で服用していたプレドニン(副腎皮質ホルモン)の、減量調整中に、身体の免疫力が思っている以上に落ちていることで、結核菌が体中に広がり、脳に到達、髄膜炎を引き起こしたのであろうということでした。

一番大変な時、私は何一つ覚えていません。
1週間くらい経ったでしょうか。奇跡的に意識を取り戻すのですが、この間が、このお話で一番大変だったのに、コメントできなくてごめんなさい・・
ところが、意識が戻っても、1~2週間は、ご飯を食べたり、顔を洗ったり、本を読んだり・・・など、生活をする上で、普通にできる事が、何一つ出来ませんでした。
字を書くことも難しい状態でした、それでも、その当時、祖母宛に一生懸命書いて送った手紙がありまして、改めて見ても、よく目を凝らさないと読めないくらいぐちゃぐちゃでした・・・

目もよく見えず、歩くことも、話すことも、ままならない状況でした。その時の私は、「今ここを生きる」事だけで、精一杯でした

それから4ヶ月ほど経ちます。

一人前に頭が働くようになると、途端に、これからどう生きていこう・・と、不安と恐怖が襲ってきます。
桜の咲く季節、梅雨の季節、花火やお祭りの季節、紅葉の季節・・・・ずっと、ベッドの上で過ごし、変わっていく景色を病室の窓からいつも眺めていました。
今頃、皆、楽しんでいるのだろうなあ・・仕事頑張っているのだろうなあ・・
なんだか、悔しくて、悲しくてたまりません。

この1年間の入院生活の中で、少しずつ回復していく中で、さまざまな事を考えました。

なぜ、私だけがこんな思いをして、苦しまなければならないのだろう?
と、嘆いたこともありました。
父のこと、母のこと、兄弟のこと、私自身の事、自分を取り巻く人達・・
何のために私はここにいて、何のために頑張って来たの?どうしたい?どうなっていきたい?
色々な事を考えました。

病院って、そんな精神面もサポートしてくれる場所だと思っていました。
でも、病院というのは、それぞれの科のさまざまな疾患に対して、検査や薬物治療を施し、良くなっていくプロセスをケアする場所であって、患者の悩みや愚痴、退院後、どうして生きていこう?なんて話を聞いてくれる場所ではないのですよね。
そんな患者の話をいちいち聞いていられない程、病院のスタッフは、ローテーション組んで本当に忙しく動き回っているのです。

入院して半年が経った時、初めて外出許可がでて、近所を散歩する程度でしたが、久しぶりに外の空気を吸いました。半年ぶりに洋服を着て、靴を履いて、自分の足で1歩1歩アスファルトの硬さを感じて、かみしめながらヨタヨタと歩いて、深呼吸をする・・・
今まで当たり前すぎていた、こういった一つ一つの事に感動して、涙が止まりませんでした。

私、ちゃんと生きているんだなあ、それだけで素晴らしい事なんだなあ・・・と。
今ここに、生きる力があれば、少しずつでも前に進むんだって、思いました。

もう一度ここから、始めてみようと、この時、思いました。

そんな長い入院生活を終え、無事に退院することが決まり、チームを組んでやってくださった先生方からは、「退院おめでとう!本当に良かったね。」と声をかけてくださいました。最後に担当の先生はこんなお話をしてくださいました。

「今こうして、元気に問題なく退院できるという事は、奇跡に近いんだよ。医者の力ではどうする事もできないこともあって、でも、年齢も若いし、助けてあげたいと思った。本当に大変だったんだよ。君の強い生命力が君を助けたのかもしれないね。その命は決して無駄にしてはいけないよ。」
私は、その言葉を胸に病院を後にしました。

ところが、私の試練はまだまだ続いています。もともと発症させていた難病、潰瘍性大腸炎の再燃です。その後、状態はどんどん悪化、再び入退院を繰り返すこと4回、考えに考えて、外科手術に踏み切る決意をしました。そして2003年の10月にオペ決行しました。

そして、私の5年間の闘病生活は終わりました。
ようやく・・・終わりました。



闘病の記録を全てお伝えするには、と~っても長くなってしまうので、なるべくわかりやすく手短にさせていただきました。それでも、上手く伝えきれていないかもしれません。ごめんなさい(TT)

今思うと、このような体験も、私の人生の一部であって、生命力と精神力を試されたかのような、修行のような期間でした。そして、自分の身に降りかかる、出来事は、よい事も悪い事も、全て自分への警告、心の鏡となって跳ね返ってきているのだなあ、と感じました。

周りの人間関係、周りの状況を見れば、今の自分はどこに位置しているか、バランス悪いのか、安定しているのか、一目瞭然で、その信号を上手くキャッチして、自分を柔軟に見つめなおし、変えていくことが、可能なのだという事が、今はっきりと、感じています


周りの顔色をみる、という事ではありません。

「自分が変わる」事で、おのずと、まわりも環境も変わっていくという事に、気がつく、という事だと思います。

私は、ここにたどり着くまでに、生命の危機という境目に立たされながら、うまく、生きるも死ぬも出来なくて、苦しみを経験をしないとわからないくらい、時間がかかってしまいました(微笑)

このブログで、実体験を元にお伝えしたかった事は、何かのご縁で、ここへ来て読んでくださった、お一人おひとりが、自分の人生を改めて振り返った時に、どんな事を感じたか、どんな事を思ったか、また、その感じた事を、ご自分の人生の一部に、一つのエッセンスとして、明日へ生かしていただける良いきっかけになれば、と思っています。

きっとそれが、かかわる全ての皆様に、できる事、なのだと思います。
心をこめてお届けしました。

微力ながら、皆様にとっての幸せのカタチ・・・見つけていただける事、願っています。

ご拝読、ありがとうございました(^^)/
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by ortus34 | 2007-03-27 07:00 | 潰瘍性大腸炎

現在は、おかげさまで、健康と、生きるエネルギーを取り戻して、元気でやっておりますが、
過去に、二つの病気患い、健康を、失って初めて気がついて、5年かけて得た情報から、ぜひ、かかわる全ての、方々へ、私と同じような経験をして欲しくない願いをこめて、闘病記の一部、知る範囲での情報をお届けいたします。

突然私を襲ったを病気2

潰瘍性大腸炎 1998年10月発病 現在→2003年オペ後完治


潰瘍性大腸炎とは
UC =潰瘍性大腸炎という病気は、難治性の腸疾患です。日本でも毎年約4000人ずつ発症していると言われていて、現在は日本で約10万人はいるであろうといわれています。

最近では、タレントの若槻千夏さんが患った病気です。


原因免疫異常説、感染説、食事説・・などの説が唱えられているようですが、はっきりとした事はわかっていないようです。現在特定疾患、難病指定されていますが、患者数が増え続け、確かな治療法がないのに、一般の保険診療と同じ扱いを受けてしまう可能性も、近い将来にあるということです。

症状
下痢や腹痛、血便、症状が悪くなると発熱、体重減少、貧血などの症状が出ます。私は全大腸の重症型でしたが、比較的軽い症状(軽症、中等症)の患者さんもたくさんいらっしゃいます。日本では軽症・中等症の患者さんが多く、アメリカでは重症の患者さんが多いと聞いた事があります。

わかりやすく言えば、過敏性腸症候群のひどい状態・・でしょうか。

私の場合、重症型、再燃-緩解(入院-退院)を繰り返していました。
下血、腹痛が始まると、外出が恐怖で、一時は、不眠症、パニック障害、過換気症候群にも悩まされました。


電車に乗ると脂汗がでますし、お腹が頻繁に痛くなるので、近くのスーパー、はたまた、歯医者や、美容室にもいけなくなる始末。

それでも、仕事が出来る時は、果敢に続けました。
人と変わらない自分を確認していたかったからです


UCに使われる主な薬
今現時点では、更に改良された、薬が治療に使われているとは思いますが、私の場合は、ペンタサ、サラゾピリン、プレドニン、後は必要に応じて、整腸剤や胃薬、下痢止めや、鉄剤などです。
症状によって、量や種類に差はあります。
注腸剤は、ステロネマ、ペンタサ注腸などがあります。日常生活では、このような薬によってコントロ-ルしながら様子をみていきます。

私の場合は、サラゾピリンだと服用しているうちに気持ちが悪くなったので、ペンタサを1日16錠(朝、昼、夜、眠前)他、上記の薬ほとんど+眠剤や安定剤などを服用していました。

自覚症状としては、トイレの回数が10~15回、下血、発熱(37.5℃以上)、貧血(Hb10以下)、脱水症状・・・などの様子がみられたら重症の枠で、入院が必要になります。

この病気で、慎重にならなければならないのは、プレドニン(ステロイド)です。重症だと大量投与するので、本当に副作用が辛いです減らす時も慎重にしなければなりません。

悪循環なのが、この病気は、ちょっとした心の負担、ストレス、過労、不規則な生活があると、すぐ再発します。
ステロイドを使っているうちは、激薬なので、症状が治まりますが、なるべく早めにやめなければなりません。でも、ステロイドを完全に切ってしまうと、再発したりする場合があります(涙)これをプレド離脱出来ない状態といいます・・・

脱水と貧血がひどいと、死に至る場合があると聞いています。

下血がひどいと貧血がひどく、Hb7などしょっちゅうでした。ちなみに、健康な人間の基準値は10~13、私は当時「7」輸血が必要とされる数値だそうです。
なぜ輸血せず、日常をとりあえず送れているのかと、医者に伺ったところ、その量に身体が慣れているからなんですって。
普段Hb13の人が急に7に落ちたら即、輸血なのだそうです。

血清(身体に必要な鉄分の貯蔵庫があるそうです)も、100以上が正常値のところ、8しかなく、ほとんど貯蔵されていない状態・・・難病というだけで、お先真っ暗な気分なのに、それでも、外から補充してもらえるものは補充して、どうにか生きていかなければなりません。

私は、こうして、いつも死と隣りあわせな中でも、生きる喜び、そして、生き辛さを感じながら、毎日を送っていました。


入院
私の場合は、救急車で運び込まれての緊急入院が何度かありました。
ぎりぎりまで入院したくなくて、もうだめだというところまで、家にいた時もありました(^^;)
何回も入退院繰り返しているので、本当に、この繰り返しに疲れて、いやになってくるんです。

入院すると、まず内視鏡検査で腸の具合を調べてもらいます。
二度と受けたくない最悪な検査だといつも思いながら、結局数十回も・・・
血液検査では血沈、CRP、ヘモグロビン、アルブミンなどを調べてもらいます。
そして、治療方針が決まりますが、絶食をして腸を休ませ、点滴でしばらく様子を見る事からはじめる事が多いです。

点滴は、一日に必要なカロリーや鉄剤、ビタミン、そしてステロイドなどで身体状態を調節します。
他には白血球除去療法(LCAP)や顆粒球除去療法(GCAP)があります。比較的重症患者に効果があると言われているようですが、非常に大きな個人差があるようです。

LCAPは、静脈血を体外の血液循環装置に移し、白血球を除去するカラムに通し、再び体内に戻すという、見た目は人工透析のような治療法で、私はこのLCAPをを週に一度、それを5回で1セット試したわけですが、2セット挑戦しましたが、1回目は効果がありましたが、2回目はほとんど効果が見られませんでした。

ステロイドでの治療が困難な時に、免疫抑制剤が使われる場合があります。
アザチオプリンや6-MPなどを少量投与することにより、緩解維持が期待できるそうです。

このような、内科的治療で騙し騙し様子を見ていくわけですが、それもこれもどんな事を試しても、緩解維持出来なかったり、プレドニンを離脱出来なかったりと、内科的治療でいい方向に持ち込めなかった場合は、外科的治療も考えなければなりません。


外科的治療
私の場合は、上記の内科治療の他に食事療法、漢方、腸に良しとされることは何でも試してみましたが、いずれも期待通りの結果に至らず、8回の入退院の末、外科手術に踏み切る決意をしました。

2003年の10月にオペ決行しました。
外科治療に関してはオペ日記と称する日記を綴りました。

UCにおいて、日頃の心がけとしては、ストレスや疲れをためない事と言われています。食事に関してはなるべく刺激になるようなものは避けたほうが良いと思われます。
気になる事や心配な事は遠慮せずに、どんどん担当医に尋ねる事は大切です。
自分の身体ですからネ。

さまざまな病気がありますが、難治性といわれるもの、原因不明のものは、心因性のものも多く、ぼろぼろになってしまった身体疾患に対し、薬物治療を施す前に、心がカゼを引き始めたその時に、心に健康と栄養を取り戻すことが出来たらと、強く感じています。

今、同じ病気で苦しまれている方、または、病気で苦しまれているそのご家族、友人、恋人のために、何かできることは・・と考えられているあなたへの、ひとつの情報として、または、ひとつの知識として、私から提供できることをまとめてみました。少しでも、参考にしていただければ幸いです。

いくつかの病気を経験して、思うことは

病気は生活の上での苦しみであって、人生の挫折ではないという事です。
意味のある生き方、というより、生きていることの意味・・を更に考えてみる
今日このごろです。


次回は、なぜこのような病が私を襲ったのか、闘病記から抜粋して、お伝えしたいと思います。
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by ortus34 | 2007-03-24 07:00 | 潰瘍性大腸炎