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Crystal Mind ブログ~ココロのカタチ~

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世の中の、あらゆる日常の、関わる人への思い、感動、気づきを、心理カウンセラーが綴るブログ。

<   2007年 03月 ( 8 )   > この月の画像一覧

私が、潰瘍性大腸炎(UC))と診断されたのは、1998年の10月でした。

それまでは、医者にかかるのは風邪をひいた時くらい、入院だって一度もしたことのない、いたって健康な人間でした。
でも、現実の生活では、毎日働きづめで、不規則な生活に食生活、ハードな生活を送っていました。
そんな生活に、自分で自分を追い込んでいった原因もあったかもしれません・・・。
当時悩んでいた人間関係や、仕事の仕方で見つめなおさなければならない事、親子で大喧嘩をして、それ以来、口もきかず、つっぱっていた時期もありました。
そんな問題を、忙しくある事で、ごまかし、目を背けていたような気がします。

そんな毎日の中で、不調を感じたのは、日々お腹の痛みを感じ、少しずつ下血するようになり、貧血や、だるさが続くようになった頃でした。下血した時はびっくりして、近くの病院に駆け込んだのですが、内視鏡検査をしてみましょう、ということになり、腸の中をのぞくと腸が傷だらけで真っ赤!白い潰瘍もいたるところに見られ、形もひょろひょろしていてかなり重症だという事でした。

それから即入院潰瘍性大腸炎と診断され、この先、一生続く難病との戦いが始まりました・・・

この潰瘍性大腸炎との5年間の闘病生活の間に、2時併発を引き起こして、そっちの病気での治療で約1年間、入院してしまうという悲惨な事になってしまいました。これが、以前のブログで紹介させていただきました 肺結核性髄膜炎です。

UC自宅療養中に、高熱・だるさ・ものごい頭痛に襲われ、3日間、食事もとれず、水も飲めず、全く身体が動かないまま、意識が朦朧としている中、一本の電話で救われて、病院へ行くことが出来ました。
即入院。入院中に意識が完全になくなり、ICU(集中治療室)に何日か入りました。
後に、大学病院に転院、検査の結果、肺結核性髄膜炎を引き起こしていることがわかり、意識レベルが重度で、生死を彷徨う大惨事となってしまったのです。1999年3月の事です。

あの一本の電話がなければ、今の私は間違いなく、ここにはいなかったかもしれません。

後で、大学病院の医者が調べたところによると、おそらく、潰瘍性大腸炎で服用していたプレドニン(副腎皮質ホルモン)の、減量調整中に、身体の免疫力が思っている以上に落ちていることで、結核菌が体中に広がり、脳に到達、髄膜炎を引き起こしたのであろうということでした。

一番大変な時、私は何一つ覚えていません。
1週間くらい経ったでしょうか。奇跡的に意識を取り戻すのですが、この間が、このお話で一番大変だったのに、コメントできなくてごめんなさい・・
ところが、意識が戻っても、1~2週間は、ご飯を食べたり、顔を洗ったり、本を読んだり・・・など、生活をする上で、普通にできる事が、何一つ出来ませんでした。
字を書くことも難しい状態でした、それでも、その当時、祖母宛に一生懸命書いて送った手紙がありまして、改めて見ても、よく目を凝らさないと読めないくらいぐちゃぐちゃでした・・・

目もよく見えず、歩くことも、話すことも、ままならない状況でした。その時の私は、「今ここを生きる」事だけで、精一杯でした

それから4ヶ月ほど経ちます。

一人前に頭が働くようになると、途端に、これからどう生きていこう・・と、不安と恐怖が襲ってきます。
桜の咲く季節、梅雨の季節、花火やお祭りの季節、紅葉の季節・・・・ずっと、ベッドの上で過ごし、変わっていく景色を病室の窓からいつも眺めていました。
今頃、皆、楽しんでいるのだろうなあ・・仕事頑張っているのだろうなあ・・
なんだか、悔しくて、悲しくてたまりません。

この1年間の入院生活の中で、少しずつ回復していく中で、さまざまな事を考えました。

なぜ、私だけがこんな思いをして、苦しまなければならないのだろう?
と、嘆いたこともありました。
父のこと、母のこと、兄弟のこと、私自身の事、自分を取り巻く人達・・
何のために私はここにいて、何のために頑張って来たの?どうしたい?どうなっていきたい?
色々な事を考えました。

病院って、そんな精神面もサポートしてくれる場所だと思っていました。
でも、病院というのは、それぞれの科のさまざまな疾患に対して、検査や薬物治療を施し、良くなっていくプロセスをケアする場所であって、患者の悩みや愚痴、退院後、どうして生きていこう?なんて話を聞いてくれる場所ではないのですよね。
そんな患者の話をいちいち聞いていられない程、病院のスタッフは、ローテーション組んで本当に忙しく動き回っているのです。

入院して半年が経った時、初めて外出許可がでて、近所を散歩する程度でしたが、久しぶりに外の空気を吸いました。半年ぶりに洋服を着て、靴を履いて、自分の足で1歩1歩アスファルトの硬さを感じて、かみしめながらヨタヨタと歩いて、深呼吸をする・・・
今まで当たり前すぎていた、こういった一つ一つの事に感動して、涙が止まりませんでした。

私、ちゃんと生きているんだなあ、それだけで素晴らしい事なんだなあ・・・と。
今ここに、生きる力があれば、少しずつでも前に進むんだって、思いました。

もう一度ここから、始めてみようと、この時、思いました。

そんな長い入院生活を終え、無事に退院することが決まり、チームを組んでやってくださった先生方からは、「退院おめでとう!本当に良かったね。」と声をかけてくださいました。最後に担当の先生はこんなお話をしてくださいました。

「今こうして、元気に問題なく退院できるという事は、奇跡に近いんだよ。医者の力ではどうする事もできないこともあって、でも、年齢も若いし、助けてあげたいと思った。本当に大変だったんだよ。君の強い生命力が君を助けたのかもしれないね。その命は決して無駄にしてはいけないよ。」
私は、その言葉を胸に病院を後にしました。

ところが、私の試練はまだまだ続いています。もともと発症させていた難病、潰瘍性大腸炎の再燃です。その後、状態はどんどん悪化、再び入退院を繰り返すこと4回、考えに考えて、外科手術に踏み切る決意をしました。そして2003年の10月にオペ決行しました。

そして、私の5年間の闘病生活は終わりました。
ようやく・・・終わりました。



闘病の記録を全てお伝えするには、と~っても長くなってしまうので、なるべくわかりやすく手短にさせていただきました。それでも、上手く伝えきれていないかもしれません。ごめんなさい(TT)

今思うと、このような体験も、私の人生の一部であって、生命力と精神力を試されたかのような、修行のような期間でした。そして、自分の身に降りかかる、出来事は、よい事も悪い事も、全て自分への警告、心の鏡となって跳ね返ってきているのだなあ、と感じました。

周りの人間関係、周りの状況を見れば、今の自分はどこに位置しているか、バランス悪いのか、安定しているのか、一目瞭然で、その信号を上手くキャッチして、自分を柔軟に見つめなおし、変えていくことが、可能なのだという事が、今はっきりと、感じています


周りの顔色をみる、という事ではありません。

「自分が変わる」事で、おのずと、まわりも環境も変わっていくという事に、気がつく、という事だと思います。

私は、ここにたどり着くまでに、生命の危機という境目に立たされながら、うまく、生きるも死ぬも出来なくて、苦しみを経験をしないとわからないくらい、時間がかかってしまいました(微笑)

このブログで、実体験を元にお伝えしたかった事は、何かのご縁で、ここへ来て読んでくださった、お一人おひとりが、自分の人生を改めて振り返った時に、どんな事を感じたか、どんな事を思ったか、また、その感じた事を、ご自分の人生の一部に、一つのエッセンスとして、明日へ生かしていただける良いきっかけになれば、と思っています。

きっとそれが、かかわる全ての皆様に、できる事、なのだと思います。
心をこめてお届けしました。

微力ながら、皆様にとっての幸せのカタチ・・・見つけていただける事、願っています。

ご拝読、ありがとうございました(^^)/
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by ortus34 | 2007-03-27 07:00 | 潰瘍性大腸炎

現在は、おかげさまで、健康と、生きるエネルギーを取り戻して、元気でやっておりますが、
過去に、二つの病気患い、健康を、失って初めて気がついて、5年かけて得た情報から、ぜひ、かかわる全ての、方々へ、私と同じような経験をして欲しくない願いをこめて、闘病記の一部、知る範囲での情報をお届けいたします。

突然私を襲ったを病気2

潰瘍性大腸炎 1998年10月発病 現在→2003年オペ後完治


潰瘍性大腸炎とは
UC =潰瘍性大腸炎という病気は、難治性の腸疾患です。日本でも毎年約4000人ずつ発症していると言われていて、現在は日本で約10万人はいるであろうといわれています。

最近では、タレントの若槻千夏さんが患った病気です。


原因免疫異常説、感染説、食事説・・などの説が唱えられているようですが、はっきりとした事はわかっていないようです。現在特定疾患、難病指定されていますが、患者数が増え続け、確かな治療法がないのに、一般の保険診療と同じ扱いを受けてしまう可能性も、近い将来にあるということです。

症状
下痢や腹痛、血便、症状が悪くなると発熱、体重減少、貧血などの症状が出ます。私は全大腸の重症型でしたが、比較的軽い症状(軽症、中等症)の患者さんもたくさんいらっしゃいます。日本では軽症・中等症の患者さんが多く、アメリカでは重症の患者さんが多いと聞いた事があります。

わかりやすく言えば、過敏性腸症候群のひどい状態・・でしょうか。

私の場合、重症型、再燃-緩解(入院-退院)を繰り返していました。
下血、腹痛が始まると、外出が恐怖で、一時は、不眠症、パニック障害、過換気症候群にも悩まされました。


電車に乗ると脂汗がでますし、お腹が頻繁に痛くなるので、近くのスーパー、はたまた、歯医者や、美容室にもいけなくなる始末。

それでも、仕事が出来る時は、果敢に続けました。
人と変わらない自分を確認していたかったからです


UCに使われる主な薬
今現時点では、更に改良された、薬が治療に使われているとは思いますが、私の場合は、ペンタサ、サラゾピリン、プレドニン、後は必要に応じて、整腸剤や胃薬、下痢止めや、鉄剤などです。
症状によって、量や種類に差はあります。
注腸剤は、ステロネマ、ペンタサ注腸などがあります。日常生活では、このような薬によってコントロ-ルしながら様子をみていきます。

私の場合は、サラゾピリンだと服用しているうちに気持ちが悪くなったので、ペンタサを1日16錠(朝、昼、夜、眠前)他、上記の薬ほとんど+眠剤や安定剤などを服用していました。

自覚症状としては、トイレの回数が10~15回、下血、発熱(37.5℃以上)、貧血(Hb10以下)、脱水症状・・・などの様子がみられたら重症の枠で、入院が必要になります。

この病気で、慎重にならなければならないのは、プレドニン(ステロイド)です。重症だと大量投与するので、本当に副作用が辛いです減らす時も慎重にしなければなりません。

悪循環なのが、この病気は、ちょっとした心の負担、ストレス、過労、不規則な生活があると、すぐ再発します。
ステロイドを使っているうちは、激薬なので、症状が治まりますが、なるべく早めにやめなければなりません。でも、ステロイドを完全に切ってしまうと、再発したりする場合があります(涙)これをプレド離脱出来ない状態といいます・・・

脱水と貧血がひどいと、死に至る場合があると聞いています。

下血がひどいと貧血がひどく、Hb7などしょっちゅうでした。ちなみに、健康な人間の基準値は10~13、私は当時「7」輸血が必要とされる数値だそうです。
なぜ輸血せず、日常をとりあえず送れているのかと、医者に伺ったところ、その量に身体が慣れているからなんですって。
普段Hb13の人が急に7に落ちたら即、輸血なのだそうです。

血清(身体に必要な鉄分の貯蔵庫があるそうです)も、100以上が正常値のところ、8しかなく、ほとんど貯蔵されていない状態・・・難病というだけで、お先真っ暗な気分なのに、それでも、外から補充してもらえるものは補充して、どうにか生きていかなければなりません。

私は、こうして、いつも死と隣りあわせな中でも、生きる喜び、そして、生き辛さを感じながら、毎日を送っていました。


入院
私の場合は、救急車で運び込まれての緊急入院が何度かありました。
ぎりぎりまで入院したくなくて、もうだめだというところまで、家にいた時もありました(^^;)
何回も入退院繰り返しているので、本当に、この繰り返しに疲れて、いやになってくるんです。

入院すると、まず内視鏡検査で腸の具合を調べてもらいます。
二度と受けたくない最悪な検査だといつも思いながら、結局数十回も・・・
血液検査では血沈、CRP、ヘモグロビン、アルブミンなどを調べてもらいます。
そして、治療方針が決まりますが、絶食をして腸を休ませ、点滴でしばらく様子を見る事からはじめる事が多いです。

点滴は、一日に必要なカロリーや鉄剤、ビタミン、そしてステロイドなどで身体状態を調節します。
他には白血球除去療法(LCAP)や顆粒球除去療法(GCAP)があります。比較的重症患者に効果があると言われているようですが、非常に大きな個人差があるようです。

LCAPは、静脈血を体外の血液循環装置に移し、白血球を除去するカラムに通し、再び体内に戻すという、見た目は人工透析のような治療法で、私はこのLCAPをを週に一度、それを5回で1セット試したわけですが、2セット挑戦しましたが、1回目は効果がありましたが、2回目はほとんど効果が見られませんでした。

ステロイドでの治療が困難な時に、免疫抑制剤が使われる場合があります。
アザチオプリンや6-MPなどを少量投与することにより、緩解維持が期待できるそうです。

このような、内科的治療で騙し騙し様子を見ていくわけですが、それもこれもどんな事を試しても、緩解維持出来なかったり、プレドニンを離脱出来なかったりと、内科的治療でいい方向に持ち込めなかった場合は、外科的治療も考えなければなりません。


外科的治療
私の場合は、上記の内科治療の他に食事療法、漢方、腸に良しとされることは何でも試してみましたが、いずれも期待通りの結果に至らず、8回の入退院の末、外科手術に踏み切る決意をしました。

2003年の10月にオペ決行しました。
外科治療に関してはオペ日記と称する日記を綴りました。

UCにおいて、日頃の心がけとしては、ストレスや疲れをためない事と言われています。食事に関してはなるべく刺激になるようなものは避けたほうが良いと思われます。
気になる事や心配な事は遠慮せずに、どんどん担当医に尋ねる事は大切です。
自分の身体ですからネ。

さまざまな病気がありますが、難治性といわれるもの、原因不明のものは、心因性のものも多く、ぼろぼろになってしまった身体疾患に対し、薬物治療を施す前に、心がカゼを引き始めたその時に、心に健康と栄養を取り戻すことが出来たらと、強く感じています。

今、同じ病気で苦しまれている方、または、病気で苦しまれているそのご家族、友人、恋人のために、何かできることは・・と考えられているあなたへの、ひとつの情報として、または、ひとつの知識として、私から提供できることをまとめてみました。少しでも、参考にしていただければ幸いです。

いくつかの病気を経験して、思うことは

病気は生活の上での苦しみであって、人生の挫折ではないという事です。
意味のある生き方、というより、生きていることの意味・・を更に考えてみる
今日このごろです。


次回は、なぜこのような病が私を襲ったのか、闘病記から抜粋して、お伝えしたいと思います。
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by ortus34 | 2007-03-24 07:00 | 潰瘍性大腸炎
出来れば、病気などせずに、健康に人生を送りたいものです。
そう願っていながらも、日々の生活では、健康とは程遠い、出来事や心理状態に追い込まれてしまいます。
病に侵されて、初めて気がつくのでは、遅いのです・・・
健康であれば、得る事ができた、たくさんの経験、充実した時間・・・・
私は、二つの病気を患い、健康・時間・健全な精神を、失って、ようやく初めて気がついた、5年かけて得た情報を、ぜひ、かかわる全ての、方々へ、私と同じような経験をして欲しくないという願いをこめて、闘病記の一部、知る範囲での情報をお届けいたします。

突然私を襲った病気1

<肺結核性髄膜炎> 1999年3月発病 現在→完治

どんな感染症か
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 結核菌の感染によって生じる髄膜炎で、現在でも死亡率の高い病気です。約2週間の経過で頭痛、発熱、意識障害が進行し、失明、難聴、水頭症(すいとうしょう)などの重い後遺症を残すことが多い難治性疾患で、早期に適切な治療が必要です。
 ほかの細菌性髄膜炎と比べ、亜急性(あきゅうせい)の発症・経過で、脳底髄膜炎(のうていずいまくえん)を示すことが多い病気です。


症状の現れ方
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 亜急性の発症で、頭痛・嘔吐、発熱などの症状で始まります。とくに発熱と強い頭痛が特徴です。この頭痛はこれまでに経験したことのないような強い痛みで、頭全体ががんがんします。患者さんの首は硬くなり、下を向きにくくなります。進行すると意識障害が現れ、さらに髄膜脳炎(視力障害、動眼(どうがん)神経障害、外転(がいてん)神経障害などの脳神経障害、けいれん症状を示す)を併発します。


私の場合も、やはり、激しい頭痛、電子体温計が測定不能でエラー音を出すほどの高熱、意識は遠のき、ICUへ。その頃は何も覚えていません。
目が一時見えなくなりました。
人は、心配な事があると、怯え、不安に駆られるものですが、生命の危機に陥るほどの、意識が混沌とした状態にいると、目が見えず、記憶もあいまいで、字も書けず、寝たきりでも、なんとも思わないし、何も感じないようです。本人はいたって普通にしていると思っています



検査と診断 --------------------------------------------------------------------------------

 白血球増加、ツベルクリン反応陽性(陰性の場合もある)、胸部X線異常(肺に原発感染巣(そう)がある場合)、などを認めます。髄液の所見では、圧の上昇、単核球(たんかくきゅう)優位の細胞数増加、蛋白の上昇、糖の低下(20~40mg/dl)、アデノシンデアミナーゼ(ADA)の増加がみられます。
 結核菌の塗抹(とまつ)、培養も行われます。PCR法による菌DNAの検出は迅速で、感度、特異性とも高くなっています。
 頭部CTおよびMRI検査では、くも膜下槽(まくかそう)の増強効果がみられ、進行すると水頭症や梗塞巣(こうそくそう)の合併、結核腫(けっかくしゅ)の形成などもみられます。
 患者さんをあお向けにして頭をそっと持ち上げると、抵抗があり、硬く感じられます。これを項部硬直(こうぶこうちょく)と呼びます。
 診断には髄液所見が重要で、結核菌が検出されると確定診断されます。肺結核やツベルクリン反応などの所見、頭部画像所見なども参考にされます。

ツ反は数回、ルンバ―ル(隋液検査)、MRI、は、もう、数え切れないほどやりました。
上記では、私の場合、結核腫の形成(隋液と一緒に結核菌が脳に到達、脳の中核の部分に活動停止状態の結核菌が腫瘍になってつまり始めている状態)がみられ、これを薬でたたく事ができずに、脳でつまると脳梗塞、もたもたしているうちに、腫瘍の結核菌が再び活動し始めると、その時はもう、無理だと告げられました。入院して3ヵ月後の事です。
生命の危機の山場が再び訪れました。

耳の聞こえが悪くなったり、平行歩行が困難になって、耳鼻科にもかかっていました


治療の方法 --------------------------------------------------------------------------------

 早期に治療を始めることが大切で、結核菌検出の結果を待たずに、イソニアジド+リファンピシン+ピラジナミド+ストレプトマイシンまたはエタンブトールの4剤を併用した治療を開始します。のちに、分離された菌の感受性をみながら処方を変更します。
 重症例では、炎症や浮腫(むくみ)の軽減を目的に副腎皮質ステロイド薬を併用します。水頭症が合併した場合は、脳室手術やシャント手術が行われます。
 診断や適切な治療開始が遅れると、予後はきわめて不良で、しばしば死に至ります。死亡率は20~30%で、約25%は後遺症が残るとされています。
 乳幼児にBCGワクチンを接種すると結核予防効果があり、とくに結核性髄膜炎を予防できるとする根拠があるので、世界的にBCGワクチンの接種をすすめています。


私に合う薬がなかなか見つからず、上記の薬は全部使ったと思います。
とにかく、脳は外からの、害になるものは侵入させないよう頑丈に出来ているため、薬の効果がなかなか患部に行き届かず、治療自体に約1年、ものすごく時間がかかりました。
合併症で、糖尿、膵炎、黄疸症状、日光を浴びると皮膚がただれる副作用のある薬を投与していたので、日陰に半年はいました。
ステロイドの副作用もありました


~goo調べ~

この病気に関しては、私自身、本当に生きるか、死ぬか、の、闘病生活だったので、記憶や、情報をわかる範囲で、たどってお伝えしています。
今は、何の問題も障害も後遺症もなく、この病気を完全に克服して、今を普通に生きている事が奇跡的な人なのですが、
この病気の恐ろしさをよく知っています。

重症レベルだったので、医者からは何度も、
「できる事は全力でしますが、医者にもどうする事も出来ない無理な場合もあるんです。」
というような事を、身内は聞いていたそうです。


何も問題なく、今を生きていけることが私にとって、何よりの幸せであり、そんな毎日に、感謝感謝です。

次回は、突然私を襲った病気2 をお届けします。
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by ortus34 | 2007-03-22 07:00 | 肺結核性髄膜炎
この間のワークで、私たちが普段、なかなか出来ない大切な体験をしました。

イスを二つ、向かい合わせに用意します。
自分がこれまでの人生で大切にしている、大切にしてくれたと感じる人を一人決めます。

私は、母でした。

私が座るイスの向かい側に、もう一人のペアの方に座っていただき、母役としていていただきます。

母へ、普段なかなか面と向って、口に出来ない感謝の気持ちや、思いを、そこで伝えます。
私は、小さな頃から、上京して一人でがむしゃらに頑張っていた頃、病気をした時、色々な場面で、常に心配をかけていました。
母へ、これまで、ちゃんとした親孝行をしていただろうか、感謝の気持ちを伝えていただろうか・・・
色々な事を思いながら、ゆっくりと目の前の母に(母役の方)に話し始めます。

今まで、どんな事があっても、ずっと私を見守っていてくれてありがとう。
今まで、本当に色んな事があったね。
お母さんが笑顔で私を勇気づけてくれたから、くじけずここまで来れたんだよ。
私は、何か、お母さんにしてあげられたかな?
いつも自分の事ばかりでごめんね。
これからは、たくさん親孝行したいです。
お母さんの身体が心配です。いつまでも健康で元気でいてください・・・

本当に不思議ですが、今まで母とは、どうでもいい話ばかりしてきて、こんな大切な事を本当に思っていることを、なぜ素直にいえないでいたのだろう、と、感じました。

同時に、すごく涙が溢れてきました。

なにかこう、つい涙をこらえてしまうのですが、本当は
涙は、自分の心をキレイに浄化してくれる大切なものです。
涙が出たら、気の済むまで、涙が乾くまで、流し続ける事が大切なのですね。


そうして、心の中にある未処理の感情、または、未解決の感情を、こうしたカタチで、浄化であったり、気持ちの整理をする事をしました。


ペアの相手の方もお母様へ気持ちを伝えるとの事で、私は、母役に交代します。

ペアの方も、やはり感極まって、涙を流されながら、お母様に気持ちを伝えています。
母役の私はというと、なぜか、その方のお母様の気持ちに完全になってしまい、本当に子を持つ母親の気持ちになって、自分の時よりも号泣していました(^^;)

普段仲良くしている友人でも、恋人でも良いと思います。

こうして、普段なかなか面と向って話す機会はないけれど、たまに、何かの機会に、思い切って
素直な気持ちを話してみると、なんだか、あったかい気持ちになれるのではないでしょうか。

私は一人じゃないんだなって、思えました。

大切な人の笑顔をみて、また、優しい気持ちで、微笑み返す。
・・・・実際は照れくさいかもしれませんね。

でも、良いものだと思いますよ(^^)


因みに、私は、それから、本当に母に、同じように伝えてみたんです。

そうしたら、母から意外な言葉が。

「本当はね、お母さんの方が、あなたに、感謝してもしきれないほどのお礼を言わなくちゃいけなかったし、病気した時は、すまなかったという気持ちがあって、あやまらなくちゃいけないのよ」

そんな、気持ちを、母が私にずっと抱いていたなんて、初めて知ってびっくりしました。

長年親子をしていても、初めて気がつくお互いの思い・・・
大切にしているどんな関係でも良いとおもいます。
何気ない会話もいいけれど、もしかすると、こんな風な会話が信頼を育む一番の近道なのかもしれません。

人と人との絆は、ホンの些細な感謝の気持ちで十分なのですよね。
よし、明日も頑張るぞ!って、良いエネルギーや元気をもらえたりして。


物やお金にはかえられない一番大切なもの、それは、あったかい心のふれあいです。
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by ortus34 | 2007-03-20 00:42 | NLP(神経言語プログラミング)

私たちは、自分の人生の物語を、生まれた時から自分で描き始めています。
4歳の頃には、筋書きの要点を決め、小学校に上がる頃には、物語の細部までを完成させているといわれています。

自分の人生で出会う人にも、ちゃんと役どころがあって、いいタイミングで登場していたりします。

これまでに、出会ってきた人は、本当にたくさんいますよね。
父に母、兄弟も含め、近所のおじさん、八百屋のおばさん、学校の友達、会社の同僚、お稽古場の仲間、恋人・・・。
印象深い人もいれば、顔も名前も忘れてしまった人もいるかもしれませんね。

その物語は、悲劇であったり、喜劇であったり、サクセスストーリーだったりします。


その一つ一つの出会いの中で、様々な出来事を通して、楽しかった事も、悲かった事も、全てひっくるめてその脚本どおりに今の自分が形成されていくわけです

昔、いじめにあったとします。
あの時、私はあの子達に、いじめたれた・・・だから今の私は、

・あの時の辛さを知っているから、私は人をいじめない
・逆に人をいじめるようになった
・私をいじめた子に似ている人に出会うと、どうも好きになれない



昔、上司に、お前はダメ人間だと言われて、それ以来私は、

・すっかり自分に自身をなくした
・上司が恐い
・あの言葉があったから、それをバネに頑張れた


など、
考え方や、こういった選択一つで、自分自身って随分変わっていくんです。
この脚本を元に、人生観も出会いも、物語の展開が変わっていきます。

人生の物語には、幼少期、青年期、社会人・・・と出会う人が変わっていきますが必ず、似たようなメンツがそろっていることに気がついたことはありませんか?

いじめっ子、ガキ大将、おとなしい人、優しい人、道化師のような人、頼りになる人、おせっかいな人、ライバル、通りすがりの人・・・・。
必ず、同じようなキャストの中で、同じように繰り返される場面があるはずです。

良くない選択の行動のパターンで脚本を作っていると、同じような結果を繰り返してしまいます。
もし、こういう場面でいつも上手くいかない、いつも悪循環な事が起きてしまう、ような事があったら思い切って、脚本を書き換えてみましょう。

同じような場面に出くわしたら、今まで登場した事のない、新しい自分を演じてみましょう。
事態は面白いほど確実に変わります。
せりふも、景色も、出会いも、展開も、どんどん変化していきます。

「人生にリハーサルなんてない。いつも本番なのだ。」
という言葉を聞いた事がありますが、
時折何度も、同じ場面を作って再チャレンジさせてくれている、神様から与えられたお試し期間があると思ってください

人との出会いには、必ず意味があります。
良い出会いも、悪い出会いも、悲しい出来事にも、全部意味があります。
その時に出会った人や出来事から、次のステップに向う自分の成長に結びつく何らかのメッセージが、隠されています。

その出会いや経験を良い題材にして、今までも、そしてこれからも、自分の人生の物語は、自分で作り上げていくのです。

人間関係で上手くいかないとき、同じ事を繰り返している時、トラブルで絶望的な気分になったとき、どうして、私の人生いつもこうなんだろう?

と後ろ向きになっている時は、神様から与えられたお試し期間です。
良質な人生に、脚本を書き換える良いタイミングです。
昔、自分にかけた呪縛を解く、絶好のチャンスです。

人生の主役は、そして、この物語の監督は、他の誰でもない、
あなたなのです。


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by ortus34 | 2007-03-12 20:08 | 心のケア
人は皆、何かの縁でこの世に生を受け、家族や出会う人々との関わりの中で、感動や、喜び、時には傷つき、苦しみ、学び、そして自分を振り返り、そうしてまた、明日を生きています。

私たちは、何のために生きているのでしょうか?

「幸せになるため」
といわれる方が多いです。

世界中の誰もが、幸せを願って生きています。

では、あなたにとって 「幸せ」 とは何でしょうか
10人いたら、10の幸せのカタチがあるはずです。

「幸せ」、や、「心」 というものは 「これ」 というカタチがありません。
目には見えないものだから、あなたが 「感じる」 ことが大切です。

「幸せ」 を、人からもらうばかりの人は、確かに、その瞬間は幸せな気分に浸れますし、
簡単に手に入れることが出来ているように見えます。

でも、もらえなくなってしまった時、
目先の欲にとらわれて、
他人の評価に怯えて
自分に自信がもてなくて
彷徨い、自分を見失ってしまう事になるかもしれません。
虚無感を感じながら次の幸せを探し始めるでしょう。

幸せを求めているのに、本質的な幸せをつかむ事が出来ない
のなら、もう一度、自分にとって、幸せとは何なのか・・
何に幸せを感じるのか、どんな幸せに向って私は生きていくのか・・

という事を振り返ってみましょう。

自分の一番のよき理解者は、自分自身です。
人から言われたちょっとした一言やそぶりで自信をなくし、虚勢を張ったり、息苦しい生き方をしているのなら、たった一度の人生がもったいないです。

幸せは、他人からの評価や賞賛、物欲など、与えられるもので決まるのではなく

「自分の心で感じる事」 

で決まります。
その、心で感じる幸せのために、人は生きていくのです。

そのためには、自分を偽わらず、飾らず、無理をせず、ありのままの自然体で過ごすとよいでしょう


幸せを感じる軸を、自分の心においておけば、
日常のさまざまな事に振り回されそうになっても、苦しい事があっても、ぶれずに、ちゃんと戻ってくる事ができます。
幸せのゴールを設定していれば、どんな事がおころうと動じません。


その幸せを手に入れるために、今あなたができる事はどんな事でしょうか?
その幸せを手に入れるために、今のあなたに足りないものは何でしょうか?
今のあなたに、必要な事は何でしょうか?

それらを踏まえて、まず始めの一歩、なにから始めていきましょうか?


幸せのゴールに向う準備が出来たら

一度きりの人生を、誰と、どこで、どのように、どんな幸せに向って生きていこうかあなた自身を信じて歩き始めてみてください。


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by ortus34 | 2007-03-08 13:21 | 心のケア
伊勢・南紀の方へ出かけました。

伊勢神宮を訪れました。

ここは・・・一言でいうと、「すごい!!

今までに見たことのない巨大な御神木に、内宮、外宮の正宮の尊い神気、という感じでしょうか。
内宮のご祭神は「アマテラスオオミカミ」天上天下を統べる太陽神、女神様なのです。

ご神殿は垣で覆われていて、正面から直視する事はできないのですが、そこからあふれ出てくる、パワーはすごいものがあります。

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別宮に、「アラミタマ」が祀られている場所があります。
ここも、別格にエネルギーを感じるところだと思います。
手が熱くて、じくじくした感じが止まらなかったです。

止まらないといえば、なぜか、この場所では涙が止まりませんでした

悲しかったわけではなかったのですが、不思議なほどぼろぼろ出てきました。



御神木の巨大さは圧倒でした。
やはり伐採はしてはならない場所で、樹齢何百年というのもすごいのに、2千年もの樹齢を経てそこに気高く存在している木々ばかりです。

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思わず両手を広げて、ぴったり寄り添ってみました。
少し肌寒い時期でしたが、木は暖かくて優しいいんです。

特別な場所で、特別な経験をさせていただいて、参拝が終わった後の
おかげ横丁では、にぎやかなお店の人の声が響き、赤福や、さつまあげなんかを
ほおばりました。

強いパワーのある場所、伊勢参りは、できれば毎年、訪れたいな・・・と思っています。
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by ortus34 | 2007-03-01 23:36 | パワースポット
パワースポットとは、

その土地にある、神聖なるエネルギーが宿る場所で、
そこへ行くと、手のひらがじんじんして熱くなったり、空気が澄んでいて、身体がふわっと
浄化されるような気分になります。

感じやすい方は、鳥肌がたったり、冷や汗がでたりするようですね。

去年、パワースポットの一つである、奈良の、三輪山へ登りました。
そこは、山全体が御神体で、周辺には数々の神様がまつられています。

鳥居をくぐった時から、パワーというか、神聖な空気を感じました。
どこかこう、あたたかい雰囲気を持つ優しい感覚です。

三輪山へ登る入り口で、登山の準備。
登山なんて、いつぶりだろう・・
御神水だけを手にして、身軽にして、いざ。
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登山といっても道がきれいに整備されているわけではなく、不整地ながらも石段があったり、橋がかけられていたりします。
御神体なので、斧で草木を伐採する事は許されておらず、その生き生きとした自然の姿は、
神秘的でもあり、深くゆっくりと、心が沈静されていくような感覚を覚えました。

パワースポットでは、不思議な出来事を体験する事があるようなのですが、
私の場合は、山登りを始めて、少し経って気がついたのですが、何かがずっと隣にいて、がさがさと一緒についてきている気がして、きっと、どなたかは存じあげなかったけれど、案内をしてくれているように感じました。
後に、険しき道、足元を気をつけて、といわれているようにも感じました。

山の中に、数々の御神木、御神石、が祀られていて、その木やエリアから、じんわりとしたエネルギーをもらいました。

そんなに高い山ではないので、休み休み登って、1時間くらいで頂上へたどり着きました。
この日は、曇りか、雨の予報だったのにもかかわらず、頂上から空を見上げると真っ青な青空と太陽がさんさんと照らしていました。
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この頂上にUFOのような大きな石が祀られていて、そこの近くで、腰掛けて休んでいたら、
またまた、不思議な事が・・・
電子音が聞こえるんですね。キーンとかピーとかいう高周波な音。

私はてっきり、私以外のどなたかの携帯か何かの音だと思っていましたが、
あたりは、誰もいません。
朝一で登りましたが、山の中で人に出会うことは一度もなく、下山の時も出会いませんでした。

で、その後に  が、私のちょうど目と目の間の鼻の上辺りにやってきました。
私と蜂との距離は、20センチくらいでしょうか。
私は虫という虫は嫌いなのですが、そういう恐怖心のような感覚はなく、あまりにも近くで凝視しているものだから、
蜂の「目」を初めてまじまじと見つめてしまいました。

空中でとまったまま跳んでいるので、じっと、顔を見られています・・・。時間にして20秒ほど。


あの時の「蜂」も、きっと、山神様の化身やフェアリのような物だったのではないのかな・・。

とにかく、パワースポットの中の自分は、いつもの感覚ではない、何か魂の次元で感じ取っているものがあって、ホントにきてよかったって、思いました。

あと、山登りは久しぶりかつキライだったのにもかかわらず、すっと身体が受け入れてくれて、
下山した時にはもうさわやかな気持ちで「ありがとうございました」の一言でした。

言葉にすると難しいですが、満たされましたよ。

自然や神々の宿る場所では、ほんと、包まれるような偉大なエネルギーを感じるとともに、
自分の人としての愚かさを、痛感させられますネ。

次回は、伊勢編です!!
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by ortus34 | 2007-03-01 16:49 | パワースポット