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Crystal Mind ブログ~ココロのカタチ~

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世の中の、あらゆる日常の、関わる人への思い、感動、気づきを、心理カウンセラーが綴るブログ。

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最近、自分の勉強会の復習をしていて、気がついた事がありました。

少し、元気のない日々が続いていて、この状態を「プチ鬱」 だと、自分で名づけていました。
今回のような、 「プチ鬱」 現象は、年に二度ほど、あるかな~と思いましたが、
こういう気分の浮き沈みは、程度こそ差はあっても、誰にでも訪れるものですよね。

今までの私の場合、ひどく落ち込む、何事にも自信が持てない、前向きなエネルギーが出ない・・などの時は、じっくり時間の経過と共に、そういう気分が過ぎていくのを、待つ方法を多くとっていました。

気分転換に、気のおける仲間と楽しい時間を過ごしたり、思い切りハメをはずして発散したり・・
そんな事も、ありますよね。
これは、心理学用語で 「情動焦点型コーピング」 といって、実際の、心の中で起こっている問題を解決するのではなく、気晴らしをして、ストレスを解消すると言う事です。

反対に、問題に焦点をあてて、解決するために考えたり、行動する事を「問題焦点型コーピング」って言います。

この二つのコーピングを、バランスよく、使っていく事は、とてもベストな方法です。

例えば、気晴らしばかりしていても、問題は一向に解決されず、何度も同じ過ちを繰り返す事になるかもしれませんしね。

少々脱線しそうなお話をもとに戻しますが(^^;)、私は、今回の自称「プチ鬱」というものに対して、ぐっと浸かって、しばらくお付き合いしてみようと思いました。

落ちこむ、自信がない、この、もや~~っとした気持ち、不安感はどこから来るのか・・・
その時の周りの光景は?何が聞こえる?どんな感覚がするのか・・・
一見すると、元気ないつも通りの私、なのですが、いつも、何をしても、誰と会っても、そんなふうにプチ鬱な自分の心と向き合っていました。

勉強している内容で、一番大切なテーマは 「自分に気づく力」 なのですが、自分に気づくためには、一度、事実から目を背けず袋小路にどっぷり入る勇気を持つ事だと学んでいました。
悲しみを怒りで蓋をしてしまうと、感情の出し方を間違ってしまう。
そのエネルギーを、自分の成長のために使うのだ。と。

私は、学んでいた事を、復習で再確認してしまいましたが、この「プチ鬱」とのお付き合いは、まさに、「袋小路」にどっぷり浸かっているんだな・・・という事に気がつき、更に、探究心旺盛な私は、 「プチ鬱」 なにもかかわらず、わくわくした感覚を覚えました。

人は、誰でも「未解決の問題」、「未処理の感情」を持って生きています。
その感情がフラッシュバックするような場面があると、いやな感情が繰り返し起こります。
その感覚を持ち続けていて、更に目を背ける事を続けていると、やがて心の病に、その信号に気がつかないと、今度は身体の病に発展する可能性があります。

この、「未解決の問題」「未処理の感情」を、袋小路に入る事で、自分に気づく力を養います。
この過程で、使うワークはたくさんあるんですが、私は、自分で試しているので、余計時間がかかっているのかもしれません。
でも、今までの 「じっくり時間の経過と共に、そういう気分が過ぎていくのを、待つ方法」 より、よっぽど速いスピードで、解決の方へ向っている事は、とても実感しています。
人生得した気分です♪

そして、やがて袋小路の中で、気づき完了(処理・解決します)する日が訪れます。
自分で自分に、もう、大丈夫!楽なってもいいんだよ!!という「承認」を出します。
そして、新たな 「スタート」 を迎える事ができるのです。

いやな事からは、目を背けて、楽しい事で発散したいと思うのが人間です。
ましてや、落ち込んでいるのに、更に袋小路にどっぷり浸かるなんて、恐いなあ・・・と思いますね。

でも、この 「袋小路」 が、大きな変化と成長へつながる、一番の近道で、魔法のヒントが、隠されているのかもしれませんね。

「プチ鬱」 は、私にとても大切な事を教えてくれた。向き合ってみて本当に良かった。
って、このポジテイブさが、大切ですね(^^)

~ココロとカラダのトータルケア~
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by ortus34 | 2007-04-25 15:10 | コミュ二ケーション
心理カウンセラーは、心理学の専門的知識と技術をもって、ココロの問題のサポートをします。
そのためには、カウンセラー本人が、これでもかっ、というくらい、ココロのトレーニングをします。

精神科のお医者様が、患者を診ているうちに、先生まで病んでくるというケースを、聞いたことがありますが、稀ではないと思います。
そうならないように、予め、私たち自身のココロの中の色んなしこりを整理する必要があるのですね。

とはいえ、お医者様も、カウンセラーも一人の人間です。
生きていれば、上手くいかないこともあるし、ストレスも溜まり欝っぽくなることもあります。

そんなある日、勉強熱心なカウンセラーの友人と、色んな話をしました。

自分の心の問題と上手に向き合い、一つずつ、過去にこさえたしこりを開放してあげる事は、簡単なようですが、非常に大切な事です。

私も、カウンセラーのトレーニングを通じて、改めて気付かされた事は非常に多いです。

アメリカでは、日常の中に、カウンセリングを取り入れている方が非常に多いので、日本人に比べれば、比較的、ココロと向き合う事自体、慣れていると思います。
例えば、
「今日は気分が優れない、胸の中がもやもやしている、なぜだろう?そういえば、昨日上司と言い争った言葉の中に、過去に父からひどく傷ついた一言を言われたあの時と同じ言葉があった。それで、隠蔽していたいやな気持ちがあふれてきたんだと思う。」

といった、胸の中のもやもやをきっかけに、ここまで自己洞察が出来るわけです。
そして、昔のいやな出来事や思いを抱いたまま、楽しい事や違う事でごまかしてきた感情を、開放する事に積極的なのだと思います。

そこで、プロの技術を使って、心理療法などで、自分の奥底にある心のしこりをほぐして開放し、ハッピーな明日に向う事の努力って、身近な事で、容易に受け入れられるんです。

アメリカに限らず、マインドや表現(YES・NOをはっきり伝えるなど)がオープンな国に比べて、日本は、どこかこう、焦点をぼやかす、とか、控えめに、とか、ホンネと建前、とか、あいまいな表現をする事が日常な国で、日本人は微妙な表現をする人種ですから、人とのコミュニケーション自体、わかりにくい場合があると思うんです。

なので、余計ふさぎ込んでしまったり、ホンネを押し込めてしまって、言いたいことも言えなくなっちゃうのですね。または、逆に、相手が実際何を考えているのかわからなかったりすると、探り探りなコミュニケーションをしてみたり・・・。

一時、カウンセラーのトレーニングで、自己一致する事にどっぷり集中していた時期がありました。
自己一致と言うのは、自分のココロの中で感じている事と、表情や言葉(思考・感情・行動)を全て、一致させる事、です。
まず、カウンセラーがカウンセリングなどで、ココロのしこりを取ってしまい、サポートするのに適したニュートラルなココロの状態にするのです。

ここをがっちりトレーニングしていないと、適切なサポートも出来ません。

例えば、何か隠れたメッセージを含ませたような、ニュアンスを持つ表情や言動を持つカウンセラーって、こちらが心を開いてお話しているのに、なんだか信頼できないですね。
そんな先生にお金払って受けたくないですよね。

でも、カウンセラーではなく、ごく普通の人間関係では、大なり小なり、こういった複雑なニュアンスを持つコミュニケーションがほとんどです。

改めて一歩外に出たときに、人は、なんて、いくつもの顔を持っているのだろうか??
と、本気で複雑に感じた事がありました。
しかも、そのいくつもの顔とココロの中が一致しているとも限りません。

これまでの自分が、普通にそう生きてきたのだから、それは実感しました。

やはり、そんなコミュニケーションの中だと、人間関係の中で確かな信頼を育むと言うのは、簡単な事ではありません。

それが、よいか、悪いか、という事ではないでしょうね。
時と場合によって、必要な時に、自分のある一面を使い分ける事もあると思います。
なんでも素直にさらけ出せばよい、と言うものでもないのでしょう。

そんな世の中で、そんな毎日を送る中で、

「ん~~、なんだかこのままじゃ、もやもやしそうだなあ、ココロや身体が病んじゃうなぁ・・・」

と、さりげなくシグナルをキャッチして、ピンと来た時に、人は、心の問題に興味を持ち、資格取得とまではいかなくても、自分で心理学を学んでみたり、情報を仕入れたり自然とするものなのでしょう。

そのような方はだんだん増えてきましたよね。

純粋な、心理カウンセラーと言う人間が、増えてきている今日この頃ですが、それでも、8:2くらいの割合で、まだまだ重要性や普及が追いついていないように思います。

とはいえ、今すぐ、こうしなければならない、と言う、目に見える大きな問題でもありません。
まずは、自分で自分のあらゆる面に少しずつ気がついて、ふーん、自分ってこういうところあるんだ・・、という探究心が最初の一歩です。

それで、自分の、つまづいてなかなか前へ進めない一部分や、どうも上手くいかない何らかの事、に気がついて、一人では抱えきれなくなったら、専門家に相談して欲しいと思っています。

わざわざ、専門家のところへ電話して、予約して、相談をするという事は、辛い事があっても、どうしようもなくて、どうしてよいかわからなくても、今の状態から少しでも良い方向へ向いたいと言う前向きな気持ちがあるから、です。

自分の幸せな人生は「他人がコントロール」するものではなく、自分でコントロールできるものです。

この探求心を上手に使うと、絡まった糸がスルスルとほぐれていくように、すっと、楽になります。

とてもココロが楽になります。

友人は、特に日本では、カウンセリングに関しては、まだまだ草の根運動だねと、話をしていました。
でも、そのうち、一人ひとりが少しずつ気がついて、絡まった糸をほぐす術を身につけていく日が来る様な気がします。

勘の良い方は、既に始めていますしね。

本当に・・・草の根運動、そして、幸せの架け橋のために、更に精進したいこのごろです。p(^^)q

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by ortus34 | 2007-04-17 23:07 | 心のケア
目には見えない、人それぞれの心の流れ、というものがあります。
毎日、同じ空間で、同じ仲間と、同じ仕事、同じ時間を共有していても、「内なる部分」では、全く違う流れをしています。

その人が、どのような家庭環境で育ち、どのような経験を今までにしてきて、何を思
い、何を感じてきたか、という背景もあるでしょう。

家族の間でも、恋人たちの間でも、いつも一緒にいるから、なんでも思いが通じるわけではありません。
一つのテーマをとっても、皆それぞれの考えがあります。

毎日、違う流れがある中で、何気なく生活や時間を共にしているのです。

お互いの心の流れを尊重するには
相手の気持ちを大切にする事が一番大切なことです。

相手を大切にするとは、無理に理解しようだとか、話を合わせよう、わざわざ時間を作ろう、ということではありません。

相手の心の流れを一緒に感じてあげるだけでいいのです。


例えば、「想像」してみてください。
今、あなたの目の前に、ペットを買っている二十一歳の友人がいたとします。

「昨日、飼っていた猫が死んじゃって・・・。」

急に、友人はうつむきながらこう言いました。
この時点で、あなたは友人に対して、何と、声をかけてあげますか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・

更によく話に耳を傾けてみましょう。その猫とは、こんな出会いがありました。

友人が小学3年生だった頃、学校の帰り道の脇に、段ボール箱に捨てられていた猫を見つけました。

覗いてみると、とても可愛らしくこちらを見てニャーと鳴いています。
可愛そうに、こんなところに捨てられて、でも、うちは、ペット飼っちゃいけないって、言われているし、ごめんね。また明日来るね。

次の日、また、次の日・・・、小学生の友人は、猫の事が気になります。
昨日は雨だったなあ。ずぶ濡れで、風邪引いていないかな?お腹すかせていないかな?
家のおかず、学校のミルク、少しずつ、その猫のために、用意して食べさせてあげました。可愛い顔をして美味しそうにパクパク食べています。

ある日、友人はこう考えます。

道の脇のダンボールに入っている猫が、うっかり道路に出て、車にひかれちゃったりしないかな?
そう考えただけで、もう、気が気ではありません。
急いで、猫のいる場所へ向かい、ダンボール箱を抱え、走り出しました。
気がついたら、家の前まで来てしまいました。

友人は、お父さんとお母さんに怒られてしまうかもしれない覚悟で、息を切らしたまま、猫の話を始めます。
「ちゃんと責任を持って、大事にするから、お願い、おうちで面倒見てもいい?」

お父さんとお母さんは、子供の、これまでの子猫に対する思いと、熱意に負けて、
両親は優しくこういいました。

「今日から家族が増えるなあ。」 「賑やかになるわね。」

その日から、小学校の卒業式、高校の卒業式、何かの記念写真には、いつも猫を抱いて笑顔で写っている友人の姿がありました。
友人が二十歳になった時、振袖姿の腕に優しく抱かれて写真に写っているのは、やはりその猫でした。

それから、わずか一年後の事です。
十年間、友人と共に過ごし、愛され続けて、幸せな人生を送る事ができた事を誇りに思うかのような、優しい表情をしたまま、猫は天国へ旅立っていきました。

これが友人にとっては昨日の出来事です。

ここまでのお話を聞いて、改めて、あなたは、友人になんと声をかけますか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先ほど、同じ質問をしたときに比べて、あなたの心の感じ方の違いに、気がついたと思います。
声をかけるどころか、何も言えずに、ただ、寄り添ってあげる事しか出来ないかもしれません。
相手のさりげない言葉の裏側には、様々なストーリーがあり、思いがあり、命が流れています。

どんな思いで、どんな悲しみを抱えて、今ここで、私にこんな事を言っているのか、

そんな部分に思いを馳せてみましょう。

そうすると、そこには、心から、自然に、言葉であったり、表情であったり、相手を思う優しさ、というのが溢れ出てくるものです。

改めて、身近にいる人との何気ない「コミュニケーション」って、大切だと思いませんか?

時折、お互いの心の流れのチューニングを合わせると言う事は、今の、あなたと相手の考えや感じている事の違いを知る事にもなるし、そこからまた、色々、気が付く事ができるのです。

相手の心の流れを大切にする思い」って大切ですね。


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by ortus34 | 2007-04-13 13:11 | 心のケア
あなたのこれまでの人生の中で、かけがえのない「出会い」というものを、経験された事がありますか?

この人が側にいて、一緒に過ごす時間がとても大切で、
こんな日がずっと続いたら、どんなに幸せだろう。
そう思えたら、こんな素敵な事はないでしょう。

愛する事によって、普段の日常生活の中では、体感できなかった感情がこみ上げてきます。恋焦がれて流す涙は、誰もが持っている純粋なハートが、震える時です。

私の友人は、恋をすると、普段読みもしなかったポエムを手にしたり、街で流れる音楽に切ない気持ちを抱いたり。自分の中の芸術の扉が開かれたように、右脳と左脳がフル稼働し始めると言っていました。

ある人は、ジェットコースターに乗っているようだと言い、ある人は、異常気象のようだと、例えたりしていました。

「同じ木の、同じ実のなる友ならば、別るることも、なかろうに。」

同じ根を持つ木の枝に、仲良く咲く花ならば、別れることなく散る時も一緒なのに、という切ない恋を唄にした、還暦を迎えた私の母は、当時二十三歳だったそうです。

「また一つ去っていく、恋にわずらい、辛くて苦しくて、淋し過ぎて、翼はあっても、明日へ飛べない私がいる」
と唄った唄もあったそうです。

今なら絶対そんなフレーズは、思い浮かばないわねと、笑いながら洗濯物を取り込んでいました。
いくつになっても、恋は恋、歳をとっても感じ続けていけないものなのかしら・・・なんてしみじみ思いました。

人は恋に出会い、恋に学び、恋に苦しみ、恋の別れを繰り返して、自分らしい人生の色に染めながら、また明日を生きているのでしょう。

母の若かりし時代というのは、携帯電話もなければ、パソコンもありません。
デートスポットもなければ、合コンもありません。

今より時代は豊かではなかったのかもしれませんが、とても純粋に人と出会い、愛する事が出来て、かつ、素敵な思い出として、記憶の片隅に刻まれている事が、逆に羨ましく思えました。

私の、カウンセリングにいらっしゃる恋愛に関する相談者の方は、過去に浮気をされたり、騙された経験のある方が、人を好きになれず、次の恋愛に臆病になっているというお話がが多いです。

また、異性に対して構えすぎてしまい、相手を信用できなかったり、逆にお互いに傷つけあう事が平気になっていたり、そもそも、人を愛すると言う事がどういうことなのか、わからないというお話もあります。

そうなると、恋愛の悩みというよりも、心の悩みになっていきますね。

インターネットやゲームの中で、バーチャル的な恋を楽しむ事が出来る時代になりました。
純粋にゲームを楽しむ感覚の方もいらっしゃると思いますが、本気で人を好きになると傷つくし、いろいろ面倒だという理由の方もいると聞きました。

出会い系のチャットや書き込みでも、恋した気分、友達になった気分になるそうですね。
複雑ですが、本当に、何でも便利な時代になってしまいましたね、

私の友人は、妹さんの結婚相手と同じお勤め先だそうですが、妹さんと離婚する事になってしまった時に、その旦那さんは、なんとチャットで、妹さんとの離婚の事を、書き込んでいたそうです。たまたま会社でそれを目にした友人は、さすがに、怒ったのですって。
すると、その旦那さんは、顔色を変えず、

「皆、一応友達だから・・」
といったそうです。

その友人の話を聞いた時は、ざわざわっとした感覚を覚えました。

今は、一度も会ったことがなくても、どこの誰なのか、名前も顔もわからなくても、友達って言うのですね。
○○トモ、という言葉がはやっていますが、本当に友達といえるんでしょうか?

というより、本当に、友情だったり、人を愛するという事の、基本的な心の軸がずれてきているような気がします。
モラルの低下という言葉をよく聞くようになりました。

物があふれて、便利な時代になってしまって、恋を邪魔する様々な誘惑が、私達をそうさせてしまったのでしょうか。

希薄で、惰性的で、友情や愛情と言えるのか、言えないのか、そんな関係でつながってしまっている人が増えているような気がします。

ニュースでも、ストーカーに、痴漢、恋人や夫婦間での殺人事件・・・
嫉妬、憎しみ、恨み・・・。どれも、歪んだ愛情の裏返しとなってしまった結果です。

こんな不安定な時代に、きっと、なるべくしてなり、私たちも、変わるべくして変わってしまったのかもしれません。

世の中の変化に応じて生きていくという事も、時には必要なのかもしれません。
でも、どんな時代が訪れようとも、私たちが本来持っている純粋な部分だけは、恐がらずに持ち続けていられたらと思います。

なぜなら、人が求める愛の形というのは、いつの時代でも一緒であり、それは、永遠のはずです

本当はこうありたい、本当はこんな風に恋がしたい、と、誰しもが思っているはずです。
当時二十三歳だった母のような、恋焦がれる切ない思いを、現代の二十三歳だって、同じように思えるはずですし、思いたいと思うのです。

どうしたら、傷つく事を恐れずに、純粋に人を好きになり、ただ、あなたが大切で、そう思える私は幸せですと、心から言える気持ちを取り戻す事が出来るでしょうか?

もう、出来ないのでしょうか?

何が人をそうさせてしまったのでしょうか。


そんな事を考えてみる今日この頃でした。


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by ortus34 | 2007-04-03 01:51 | 恋愛