カルマのお話
2007年 07月 30日
カルマとは
自分のした事は善い事も悪い事も、必ず自分に返ってくると言う法則です。
「因果応報」 「業」 とも言います。
カルマは、善業と悪業の二つがあります。
例えば、悪業だと、前世でヒトを傷つけたり苦しませたヒトは、今世で、ヒトに傷つけられ、苦しみます。
善い事をすれば善い事が返ってくるし、悪い事をすれば悪い事が返ってきます。
この法則は、前世からの出来事に限らず、今世でも繰り返し起こっています。
カルマと言うのは、潜在意識の中にある罪悪感の様なものが引き起すものなのではないかと言われています。
つまり、誰かを傷つけると言うことは、同時に自分の潜在意識が罪悪感で傷付く。
この潜在意識に出来てしまった傷を癒そうとして、自ら人に傷つけられる運命を求めてしまうのではないだろうか。とも言われています。
別の言い方だと「自分で蒔いた種は自分で刈取らなければならない」と言う事です。
誰かを傷つけたら、別の形で誰かに傷つけられるまでカルマは消えません。
類は友を呼ぶということわざがありますが、まさに、今の自分の精神性を映し出す鏡のように、自分の心の中、潜在意識の中に、我欲、嫉妬、恨み、ねたみ、羨望など、あまりよろしくない念が潜んでいると、似たような者が現れます。
自分の中の改善すべき要素を他人の中でみせているのです。
この場合、同じ部分をお互いに持ち合わせているわけだから、言い方を変えれば互いに縁があるわけです。そしてどちらかが変らない限りこの縁はなかなか切れません。
これを「カルマの縁」といいます。
逆パターンの「カルマの縁」では、自分の改善すべき要素、あるいは必要とする要素を持ち合わせている優れたパートナーに出会い、惹かれあって縁が生まれます。
それぞれが、どういうカルマなのかを理解して、自分自身を変えることが出来たなら、自然と自分の魂は、次のステージへ昇格するのでしょう。
または、次の消化すべきカルマの縁の者のいる場所に向う事となります。
では、どうしたら、カルマを浄化・果たす事ができるのか。
それは、上記した、自己の概念や思い込みにあてはめる、いわゆる我欲ですね。
そして、ヒトを恨むこと、嫌な事をされたから仕返しを考えること、羨望、ねたみ、嫉妬・・・
こういった、ゆがんだ精神を潜在意識の中に生みださず
「全てを受け入れる事」
なんだそうです。
自分が100%悪くなかったとしても、受け入れるなんて、受け入れがたいお話ですが、カルマの法則だけでなく、カウンセリング「来談者中心療法」を創始したカールロジャース、森田療法の森田さん、般若心経も、結局同じような事を唱えているのですね。
「あるがままを受け入れる事」 と。
そこで、初めて自己が一致する→カルマの浄化に繋がるわけです。
解釈が難しいかもしれませんね・・・
マザーテレサは 「汝の敵をも愛しなさい」 と唱えました。
イエスは、 他人の罪を背負い、濡れ衣を着せられ死んでいく時に
、「神よ、この者たちをお許しください」
と、願ったのだそうです。
ここまでくると、悟りの境地を開くのかもしれません。
人生のあらゆる日常の中で、不幸な災難が降りかかってきた時、騙された、なかなか望むように上手くいかない出来事があったとき、その闇から抜け出せずに、ストレスや、悪習慣を繰り返すいつものパターンに陥いりそうになったら。
その流れを全て受け入れ、「カルマの法則」を認識してみてください。
認識できただけでも、事態は随分変わっていくはずです。
この仕組みがわかると、どんどん浄化していき、そのスピードはだんだん増していきます。
まさにカルマも輪廻です。
周りを取り巻く人間関係、時間の使い方、あらゆる面で、
「お??人生の流れが変わったな?」
と、気がついた時、きっと魂のステージが昇格したのかもしれません。
その先には、よりよい幸せに続く道が、そっと照らされているのかも、しれません。
~ココロとカラダのトータルケア~
☆Crystal MIind☆
ご予約・お問い合わせは
コチラ
info@crystalmind-sq.com
自分のした事は善い事も悪い事も、必ず自分に返ってくると言う法則です。
「因果応報」 「業」 とも言います。
カルマは、善業と悪業の二つがあります。
例えば、悪業だと、前世でヒトを傷つけたり苦しませたヒトは、今世で、ヒトに傷つけられ、苦しみます。
善い事をすれば善い事が返ってくるし、悪い事をすれば悪い事が返ってきます。
この法則は、前世からの出来事に限らず、今世でも繰り返し起こっています。
カルマと言うのは、潜在意識の中にある罪悪感の様なものが引き起すものなのではないかと言われています。
つまり、誰かを傷つけると言うことは、同時に自分の潜在意識が罪悪感で傷付く。
この潜在意識に出来てしまった傷を癒そうとして、自ら人に傷つけられる運命を求めてしまうのではないだろうか。とも言われています。
別の言い方だと「自分で蒔いた種は自分で刈取らなければならない」と言う事です。
誰かを傷つけたら、別の形で誰かに傷つけられるまでカルマは消えません。
類は友を呼ぶということわざがありますが、まさに、今の自分の精神性を映し出す鏡のように、自分の心の中、潜在意識の中に、我欲、嫉妬、恨み、ねたみ、羨望など、あまりよろしくない念が潜んでいると、似たような者が現れます。
自分の中の改善すべき要素を他人の中でみせているのです。
この場合、同じ部分をお互いに持ち合わせているわけだから、言い方を変えれば互いに縁があるわけです。そしてどちらかが変らない限りこの縁はなかなか切れません。
これを「カルマの縁」といいます。
逆パターンの「カルマの縁」では、自分の改善すべき要素、あるいは必要とする要素を持ち合わせている優れたパートナーに出会い、惹かれあって縁が生まれます。
それぞれが、どういうカルマなのかを理解して、自分自身を変えることが出来たなら、自然と自分の魂は、次のステージへ昇格するのでしょう。
または、次の消化すべきカルマの縁の者のいる場所に向う事となります。
では、どうしたら、カルマを浄化・果たす事ができるのか。
それは、上記した、自己の概念や思い込みにあてはめる、いわゆる我欲ですね。
そして、ヒトを恨むこと、嫌な事をされたから仕返しを考えること、羨望、ねたみ、嫉妬・・・
こういった、ゆがんだ精神を潜在意識の中に生みださず
「全てを受け入れる事」
なんだそうです。
自分が100%悪くなかったとしても、受け入れるなんて、受け入れがたいお話ですが、カルマの法則だけでなく、カウンセリング「来談者中心療法」を創始したカールロジャース、森田療法の森田さん、般若心経も、結局同じような事を唱えているのですね。
「あるがままを受け入れる事」 と。
そこで、初めて自己が一致する→カルマの浄化に繋がるわけです。
解釈が難しいかもしれませんね・・・
マザーテレサは 「汝の敵をも愛しなさい」 と唱えました。
イエスは、 他人の罪を背負い、濡れ衣を着せられ死んでいく時に
、「神よ、この者たちをお許しください」
と、願ったのだそうです。
ここまでくると、悟りの境地を開くのかもしれません。
人生のあらゆる日常の中で、不幸な災難が降りかかってきた時、騙された、なかなか望むように上手くいかない出来事があったとき、その闇から抜け出せずに、ストレスや、悪習慣を繰り返すいつものパターンに陥いりそうになったら。
その流れを全て受け入れ、「カルマの法則」を認識してみてください。
認識できただけでも、事態は随分変わっていくはずです。
この仕組みがわかると、どんどん浄化していき、そのスピードはだんだん増していきます。
まさにカルマも輪廻です。
周りを取り巻く人間関係、時間の使い方、あらゆる面で、
「お??人生の流れが変わったな?」
と、気がついた時、きっと魂のステージが昇格したのかもしれません。
その先には、よりよい幸せに続く道が、そっと照らされているのかも、しれません。
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by ortus34
| 2007-07-30 22:51
| スピリチュアル